NHKスペシャル「グーグル革命の衝撃」を見て

期待が大きかっただけに見るとがっかりというかんじ。殆どはごく常識的に知られている事ばかりで、問題の掘り下げが全然ない。まあTV番組にそこまで期待する方が無茶なんだろうけど。
ただ、ちょっと気になるのは、シュミットCEOはこんな発言をしていた。
「便利になるには、あなた方はGoogleに情報を与える必要があるのです。Googleがあなたの情報を保有することで、あなた方はいつでも、どこでも情報にアクセスできるようになるのです。個人的な情報でも、信頼できるところに預けてあれば、安全なのですから、心配ないことはわかると思います。」
まあ、最初はアメリカの経営者ならこんな風に単純明快なプレゼンをやるんだろうな、位に聞き流していたが、もしかしたらグーグルは本当に自分達の事を神だと思い始めたのか?との疑念も生じる。そう考えると、この発言はもはやITの専門家というより新興宗教の教祖ではないか。「我々を信じなさい。そしてすべてをゆだねなさい。そうすればあなたは幸福になれるのです。」とね。
という訳で、今更釈迦に説法かもしれないが、番組で取り上げられたテーマについて僕なりに語ってみたいと思う。

SEO競争の無意味さ

番組ではアメリカのある目医者が「Googleの検索順位が下がった」とSEO会社に文句をいうシーンが流れる。これは例えて言うなら、帰省ラッシュに巻き込まれたドライバーが「何でみんなそろって同じ方向に移動してんだよ。おかげで全然進まないじゃねえか」と文句いうのに近い。「皆さん、あなたと同じことをしているだけですよ」と。要はSEOなんていたちごっこなのだ。
まあSEOの基本として、きちんとマークアップされ構造的にシンプルなHTMLを書くだけなら賛成だ。しかし、それ以上でライバルに差をつけようとすると、SEOスパムぎりぎりの「対策」を打たざるを得なくなる。グーグル様の顔色を見ながら、コンテンツの質に関係ないSEOという名のスパムを日々研究するなんて、何の価値も生み出していない。
しかし今ではさすがにこのSEO熱もピークは過ぎ、ネット業界の常識としては:

  • SEOの看板を挙げてる業者は大抵怪しい
  • 「検索結果の順位保証」自体がインチキ。できるとすればキーワードをマイナーなものに変更してるだけ。
  • ユーザは検索順位の上の方ばかり見ている訳ではない。重要なのはコンテンツ(扱う商品・サービス)であり、それがよければ検索結果の2ページ目くらいまでは見る。

ということで意見が集約して来たと思っていたのだが、そうでもないのかな?まあ今だに「うちのサイトを必ず10位以内に入れてください」なんて言う業者もいるからね。それをカモにするWEB制作会社もまたいると。

グーグル八分の恐怖

これをもっと番組で取り上げて欲しかった。結局グーグル側の言い分は「まあうちらも民間企業何だし、何を表示しようと勝手じゃん」ということに尽きると思う。しかしグーグルようにほぼ市場を独占してしまった巨大企業はそれでは通らんと思う。
それと許すと、グーグルに都合の悪いコンテンツはこの世から事実上抹殺され、その一方で巨大企業や国家権力と結びついて思うままに情報をコントロールすることができる。そう、中国当局の検閲に加担したようにね。
だからこそGoogleの独走を許してはならぬ、と思ったかどうか知らないが、こういう流れもある。
高まる検索エンジン・ナショナリズム(前編)--なぜGoogleは韓国で弱いのか? | 日経 xTECH(クロステック)
そういう日本だって現状ではY!様が支配してるからね。しかし、これも結局問題は同じ。グーグルに代わって別の企業とその背景にいる国家が情報を囲い込んでいるだけだ。

今後の検索エンジン

では、いかなる国家も、いかなる企業も、その他いかなる組織も干渉できない、真に自由で公平な検索エンジンは出来ないのか?
オープンソース検索エンジンなんてどうだろう。どんなルールで検索順位を決めて行くのか全くオープンにするのである。そうすると「うちの検索エンジンは『天安門』で検索しても『天安門事件』に関する記事は出ません。」と公言している訳で、隠している意味はない。また、オープンになったルールを悪用して順位を上げるサイトが現れるだろうが、それを見た誰かがブラックリストに載せてくれるか、勝手にスパム対策の検索エンジンを作ってくれのを期待しよう。
ただ、名誉棄損などの理由で削除依頼があった時に、「裁判で判決が出たもの以外は削除しません」で通せるのかが問題だが。