日の丸航空機の悲願?

一方、三菱重工富士重工は、ボーイングの技術を相当欲しがっていたようです。しかし、もし彼らが将来自社製の航空機を作ろうと単純に考えているとしたら、ビジネスとしてははなはだ疑問です。
「航空機メーカー」がそれほど儲からないことは、ボーイング社が実証してくれています。経営不振にあえいだ挙句、何もかも自社で開発するという方針を捨て、ウィキノミクスを採用したことで、ようやく復活を遂げたのです。日本の重工業は同じ道を歩もうとしているのでしょうか?
現在アメリカに純粋な「パソコンメーカー」は存在しません。その代わり、OSやCPUと言った基幹技術を押さえたり、アップルやデルといったブランド(ビジネスモデル)によって米企業は利益を得ています。
どうやらこれからのビジネスは、コア技術を押さえるかインテグレータになるか、どちらかしか無いようです。単なる最終製品の製造は収益率が低く、先進国にとってはお荷物だと認識すべきなのでしょう。
ですので、日本は「国産航空機メーカー」を立ち上げるより、「日本の複合素材加工技術無くしては世界のどのメーカーも航空機は作れない」という、インテルマイクロソフトのようなポジションを目指す方が得策なのではないでしょうか?

ボーイング787の挑戦

その意味で私の目に留まったのは、ボーイング787の国際分業の事例でした。とは言え旅客機ほど巨大な構造物ともなれば、沢山のベンダー(部品メーカー)が関わることは当然です。ただ、B787のプロジェクトが画期的なのは「B社からの仕様書が200冊から20冊に減った」というエピソードが示す通り、設計のかなりの部分からベンダー(サプライヤ)に任せた(あるいは巻き込んだ)と言うことです。
従来であれば、部品の細かい部分まででB社が設計・指示することは「航空機メーカー」としての当然の役目であり存在意義であったはずです。ところがB787では、主翼や胴体部分など飛行機にとって本質的な部分の開発を、三菱・川崎・富士などのベンダーに任せて、自分は取り纏め役に徹しました。
これにより、B社は開発費をセーブできる一方で、自社の技術をベンダーに開示する必要があります。これは「肉を切らせて骨を絶つ」的なきわどい作戦にも見えますが、「ノウハウ」部分を秘密にする事で、(何とか?)自社の優位性を保てるそうです。
それにもまして、B社は今回のプロジェクトで「市場調査からコンセプトを決め、それを要求仕様に落とし込む技術」を高め、インテグレーターとしての自信を深めたと言います。
単純に考えて、ある会社が提供する技術の価値と、得られた技術の価値の総和が等しければ、共有した方が得策だと言えます。なぜなら、最終的な製品(この場合はB787)の価値が上がり、それによってもたらされる利益はメンバーに振り分けられるはずだからです。

トヨタのウィキノミクス

ウィキノミクスの本質は、中央集権的なマスプロダクションではなく、現場に権限を委譲することにより、彼らの力を最大限発揮させる事とも言えます。その意味では、トヨタの生産方式「カイゼン」の方が遥かに先駆者になります。
トヨタはまた開発の面でも、こうした情報開示と権限委譲をベンダーに対して行ってきました。その結果、デンソーやアイシンと言った超優秀なベンダーを生み出しました。このような技術的にも規模的にも単独で世界市場で通用する強力な企業を、専属の御用聞きのように使えるところがトヨタの競争力の源だと言っても過言ではないでしょう。
ただ、この状況も今は少し変わってきているようで、デンソーなどかパーツをトヨタの言い値で売らなくなったと聞きます。「この値段で不満なら、買わなくても結構ですよ(他社では作れないでしょうから)」という態度に出ているそうです。これは当然、トヨタにとっては大変由々しき事態です。そこで、持ち株比率を上げて発言権を増すという、資本頼みの対抗策に出たようです。
しかし、こうした行為は「技術を囲い込む」ことであり、ウィキノミクスと言う時代の流れに逆行する考え方です。
トヨタは国内だけでなく、北米・欧州・東アジアなど海外にも「トヨタ流」を輸出し、現地の「トヨタマン」を製造し、彼らがまた新たなトヨタマンを作り出すという体制を築きつつあります。
しかし、これまもたマス・コラボレーションと言うより、トヨタ帝国の拡張を行っているだけです。日本人はやはり、自分と同質の仲間を増やすという「大東亜共栄権」的な発想しか出来ないのでしょうか?異質なもの同士がなにげに協力して新たな価値を生む、そういうプロジェクトでインテグレータになれるのは日本人では無くてアメリカ人だとすれば、日本の生きる道は優れたベンダーだと言うことになります。

ウィキノミクス

ウィキノミクス

ウィキノミクス

この本は、多くのマスコラボレーションの事例が詰め込まれた分厚いハードカバーで、最初の印象はとっつきにくいものでした。なので、頭から順に読破しようとせず、自分が理解しやすい事例から読んでいくのが良いと思います。

政治の極小化を目指す

有権者の大半は、政治家なんてそんなものと薄々気付いているので、基本的に選挙には無関心です。まあ、自分たちの身近に不満や不安が迫って来たときだけ、そのはけ口として与党を「懲らしめる」くらいが関の山です。
結局、有権者には政治的に正しい選択をする見識も無いし、そんな事を考えている暇も無い。第一、選挙の時はどっちもどっちな選択支しか与えられていないので、幾ら真面目に考えても殆ど意味はありません。
この状況を良いことに、官僚たちは「国民も政治家もド素人。わが国を正しく導くのは我々だ。」とばかりに、裏で実権を行使してきました。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/059e292546d5b12de0591f462339c2b8

このように見ていくと、代議制民主主義なんてとんでもない欠陥システムだという事が判ります。それを良いことののように吹聴しているのは、学校(役所)やマスコミと言った権威側にいる人たちです。彼らはこのシステムにより自分たちの既得権が守られていることを経験的に知っているのでしょう。

一方、民間企業の経営者は消費者や従業員によって選ばれている訳ではありません。もちろん中にはとんでもない経営者もいますが、商品やサービス全体としては日々進歩しています。これは、みんなで予めリーダーを選出するよりも、出来上がった結果を利用者が選別する方が効率の良いシステムだと言うことです。

よって、結局のところ
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/522d341ca6bd1e2073f4a821f8a5b53a
で述べられているように、「政府が国民生活に介入する事を極力止めて、問題は当事者同士が司法的に解決する」事しか無いんだと思います。
なのでとりあえず、国費を浪費するだけの無駄に多い政治家を無くしましょう。自らアポトーシス(壊死)することが、政治に課せられた最後の使命です。もし「参議院の廃止」を公約に掲げる候補者や政党が出てくれば、私なら喜んで投票するでしょうね。

政治に期待しても無駄

日本は政党政治ですから、数の上で過半数を取り与党になれなければ何を言っても無意味です。よって、候補者ではなく政党に投票すべきなのですが、その政党が何をしようとしているのか、マニフェストを読んでも良くわかりません。「憲法改正につき国民的議論を」なんて言うのは「意見」じゃないでしょうと。どのように変えたいのか言わないと。
マニフェストにしろ公約にしろ、何とでも解釈できる抽象的な話か、あるいは具体的であっても、あとで何とでも変更の言い訳が出来ます。結局政党なんてその時々の党利党略で動くだけです。
もちろん、構成員である国会議員にとっても、主義主張なんて実はどうでも良いことです。最大にして唯一の関心事は「選挙で当選すること」であり、もはやその事を隠そうともしません。「選挙前に消費税の話はするな」なんて発言はその例です。
ちなみに、選挙後の社民党共産党のコメントで面白かったのは、「これで安倍政権に国民がNoを突きつけた事がはっきりした」なんて言っていたことです。これだけ与党に逆風が吹いていたのに、社民・共産が殆ど議席を確保できなかったと言うことは、もはや有権者はこれらが不要な政党だとみなしたと言うことです。でも決して「わが党に国民がNoを突きつけた」とは言わないんですね。

遅れてきた民主党の風

先のエントリー代議制民主主義の欠陥 - 森羅万象で書いたように、私は代議制民主主義そのものに懐疑的です。故に、今回の参院選にも関心が無かったのですが、それでも民主党の圧勝と聞いてびっくりです。
私も2-3年前までは、当時の小泉首相の言う「抵抗勢力」の排除と言う意味で民主党に期待していました。しかし、その後の行動を見ると、民主党も結局何も出来ないしやる気も無い「改革より票集め大事」のプチ自民党だということが判明しました。
なのに、何ゆえ今さら民主党なのか?
消えた年金」問題で与党への非難が集中した? じゃあ、これまで社会保険庁に問題が無かったとでも言うのでしょうか? 安倍政権はむしろ、これまで与野党そろって放置してきた問題に、ようやく手当てをし始めたのではないでしょうか?
結局、有権者というのは、自分に身近な問題が表面化したときだけ、条件反射をするようです。あるいは、有名人の人気投票をしているに過ぎないとも言えます。丸川珠代橋本聖子に政策立案能力があるとでも思っているのでしょうか?